しいのみ生活

自律神経失調症、休職中脱却その後。

カウンセリング2回目

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昨日はカウンセリングでした。

カウンセリングの流れは、まだ、私の過去を掘り出す作業。

(当分はこの作業です。)

前回は、心療内科にかかった原因を話したところまで。

その点は、昨日までに退職と、引っ越しが決まってしまったので、一応解決となりました。

ただ、私は、そこを掘り下げたいのではなく、今までたまったものや自分の性格にも原因があると考えているので、根本を探りたいというのが本音です。

今日は、生まれてからの生い立ちについて話しました。

小さいときのこと、どんな子供だったのかなど。

『どんな子供と言われますか?』

客観的に人から聞いたこともなく、答えることができませんでした。

自分が思っている自分の印象しかないんです。

小さいころから外で友達と遊ぶことが多かったっこと、小さいころからよく男の子とケンカしていたこと、活発な割に、挨拶ができない子供だったこと。

障害のある子の面倒は私が世話役にいつもなっていたこと。

そんなことしか覚えていませんでした。

母親はどう見てたんでしょうか。

聞いてみようと思いました。

 

あと、私が6年生になる春に、母親は死産しています。その時の話をしました。

9か月おなかにいたのですが、脳無症ということがわかり、緊急出産、死産という形になりました。

脳無症は、母体の中でしか生きられない病気なんです。

病名は、大人になってから知ったのですが。。

(画像がひどいものもあるので、グロ画像ダメな方はクリックしないでください。)

無脳症 - Wikipedia

 私はその子の話をすると、いつも泣きそうになります。

11歳で物心もついていて、楽しみにしていたのと、母親が、弟顔を見ていないからです。

弟を見た時、まるで眠っているようだったので、抱いてあげたかったのに、触りたくても触らせてもらえましんでした。なぜかというと、頭が陥没していて、それを隠すようにしていた時からなんだと思います。

父親に抱かれわんわん泣いたのを、覚えています。

お葬式も上げました。

母親は、帝王切開だったので、1週間死んだことを伏せられ、顔を見ず、葬儀にも出席することもかないませんでした。

私は、今も写真のように鮮明に顔を覚えています。

母親に弟の話をするのは私だと、そう子供心ながら思ったのだと思います。

今も、母親と弟の話になると、赤ちゃんとは思えないほど、きれいな顔をしていたこと、指がとても長くきれいだったことを話します。

 

不意打ちだったので、涙をこらえるのが必死でした。

もうすぐ弟の誕生日です。桜が満開になると、いつも近くに存在を感じます。

あの子は桜の花のような子だったのかな。

 

この中途半端な状態で、時間切れとなり、私の心はモヤモヤのまま退出。。。

なんか、不完全燃焼でしたが、こうやって、少しずつ心の絡まりを解いていこうと思います。

思い出さなくてよいこともたくさんある。

それでも、一度本気で自分と向き合おうと思ます。

心の中のタンスの整理です。多分不必要なものが大事にしまわれているので。心の断捨離をしているつもりです。

そのためには、一度余計なものを思い出そうと思います。

今後を、楽しく生きるために。

 

あと、症状が落ち着いてきたので、(退職届出したから?)

薬が減りました。

やっと、こちらも前進です。

ただ、やっぱりすぐの復帰はダメ!だそうです。

環境の変化は、心機一転で気分よく見えたりするそうですが、かなりの負担になるそうです。

お金ないのに。。。しょうがないか。。。

 

 

あとはゆっくり前を向くだけ。

心の中のタンスの整理をしながら、前を向いて歩いていこうと思います。